編集長のズボラ料理(485) 豆腐と竹輪とアサリのつくだ煮の和え物
アサリとシジミがあれば、アサリを選んでしまう。シジミにはかわいそうだが。
シジミにはチマチマしたイメージがある。みそ汁にした場合は、実が小さすぎて、それを食べるのか、それともだしをとるものと割り切るか、難題も突きつけてくる。食べていると、みみっちい感じを与える。だからといって、汁だけの飲むと、「おいしいのにもったい」という周りの視線を意識してしまう。どうすればいいのだ。
豚カツ屋さんで、ご飯、キャベツ、みそ汁のお代わりができる店に入ると、ありがたいのだが、悩ましいこともある。ええ年だからご飯のお代わりはしない。でも、シジミのみそ汁はもう1杯飲みたくなる。その場合、同じ器に汁だけを足しているのか、新しい容器にシジミも新しく入れて運んでくるのか分からない。だから困る。
つぎ足す方式なら、シジミの実を残しておいた方が、2杯目の見栄えがいい。すべて新しくなるのなら、残していると店員さんに白い目で見られそうだ。シジミのみそ汁は二日酔い対策としか考えていない僕など、豚カツ屋さんでの場面は想定していないから、あらかじめ結論を持っているわけではなく、あわててしまう。
アサリにはあか抜けた感がある。大阪市・北ノ新地で実感した。
小料理屋さんのランチを、食べに行った時期がある。ランチといえば聞こえがいいが、親子丼である。値段は小料理屋価格で1000円だったが、それなら僕にも何とかなる。
夜行けば万のお金がかかる、何せ新地だし。しかも親子丼はないから、注文できるものがない。
親子丼ももちろんおいしかったが、僕の狙いは丼についているアサリの吸い物だった。これが上品で、いくらでも飲めそう気がする。お代わりをしたくなるが、そうはいかないから、もう1度行くことなる。それを繰り返す。、
ただし、佃煮となると、そうではない。スーパーで買えば、シジミもアサリも同じ値段なのだ。そこで、アサリの方を使う。
豆腐を水切りして、さいころ状に切る。竹輪を同じような大きさに切る。さらに木の芽か大葉の千切りを用意する。これらをアサリのつくだ煮ともろみ少々(なければ、みそか金山寺みそ)で和える。
えらそうにアサリ派を気取っているるが、大津市・石山寺の山門近くの店「湖舟」名物の志じみ飯にはまいった。スーパーで買った島根県・宍道湖(しんじこ)産大和しじみは、殻は横幅が5センチもあり、恐れいった。その時はアサリ派の衣をあっさりと脱ぎ捨てた。いい加減なもんだ。(梶川伸)2021.02.26
更新日時 2021/02/26