阪大の先生㉔福永伸哉さん 三角縁神獣鏡ロマン
景初3(239)年、卑弥呼(ひみこ)は魏(ぎ)に入貢し、「親魏倭(わ)王」の称号と金印、さらに銅鏡100枚を与えられたとされる。魏志倭人伝に記された、邪馬台国(やまたいこく)と卑弥呼に関する部分だ。この銅鏡100枚と見られているのが、全国各地で出土している三角縁神獣鏡(さんかくぶちしんじゅうきょう)だ。大阪大学文学研究科の福永伸哉教授は、これが魏で作られたものか、日本で作られたものかという論争に、一石を投じる研究を行った。
注目したのは神獣が描かれた紋様ではなく、真ん中にあるつまみ部分、ひもを通す穴の形状だ。「手工業製品には、ささいな部分に共通する癖が出る。三角縁神獣鏡のそれは長方形。同時代の鏡を千数百面調査した結果、長方形は魏の工房で作られたことが明らかな鏡だった」。そのほか、外周の突線紋様や銘文の共通点、また中国では1面も発掘されていないことから、福永さんは三角縁神獣鏡を「卑弥呼に与えるために作られた特注品」と考える。邪馬台国がどこにあったかという論争にも影響を与える研究は、多くの古代史ファンに注目されている。
福永さんが考古学の道に進んだのは、子どものころからのあこがれだったから、というわけではない。「阪大で歴史の勉強をしていたんだけど、古文書が全然読めなくてね。そしたら『読めんでいい。体力はあるな?』と、考古学の先生に発掘調査に引っ張られて、それが今につながった」と当時を思い出す。今は指導する立場となったが、発掘する地域住民との調整は学生に一任する。勉強だけでなく、人とのコミュニケーションも学び、幅広い人材に育ってもらいたいからだ。
考古学の1番の魅力は、違う時代に生きた人々とのつながりが感じられることだ。「発掘品は掘り出した私の前に触ったのは、1000年、2000年前の人。この感動は、学生のころも研究者の今も変わらない。特に日本の場合、民族移動も少ないので、その遺跡や出土品が、直接自分のルーツだと実感しやすい」
福永さんは豊中市の文化財保護審議会委員も務める。「発掘調査が続けられている桜井谷窯(かま)跡(宮山町、5~6世紀)は要注目。継体天皇との関係性が明らかになれば、教科書を書き換えることになるかもしれない」と語る。ロマンあふれる話が、こんな近くにあることに驚かされた。(礒野健一)
更新日時 2013/09/12