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豊中運動場100年⑤ 日米野球に3万人の大観衆 全国初の「婦人観覧席」も 

慶応大-スタンフォード大の始球式で投じる大久保知事(右)

 1913(大正2)年6月21日、22日開催の「日米野球戦、慶応義塾大学
対米国スタンフォード大学」が、9年間にわたる豊中運動場の歴史の第1ページ
となった。
 両チームは東京で5試合、名古屋で1試合を行って大阪に乗り込んできた。3
勝3敗の五分の成績とあって、両チームとも「大阪の2試合で決着をつける」と
強い意気込みを見せていた。
 ただ、残念なことにちょうど梅雨時期ですっきりしない天候が続いていた。完
成したばかりの豊中運動場のグラウンドを存分に楽しんでもらおうと、前々日か
ら両チームの練習時間を設けたが、水抜き作業をしながら雨の合間の練習になっ
た。
 特設の団体観覧席は事前予約で満席。伊丹中学、北野中学、市岡中学、神戸高
等商業など当時の関西の野球強豪校のほか、大阪実業野球団など社会人野球チー
ムの選手が百人単位で申し込んだ。
 そして野球大会としては全国初の「婦人観覧席」が設けられた。テント張りの
数百人程度の観覧席だが、当時としては画期的だった。「女性が男と肩を並べて
野球観戦なんて……」という風潮があったうえ、応援が過熱して乱闘騒ぎになる
ことが珍しくなく、「女性も安心安全に観戦して」という豊中運動場ならではの
試みとなった。
 重い雲が垂れ込め、時折細かな雨が降るあいにくの天気となったものの、6月
21日の豊中運動場は3万人の大観衆(主催者発表)で埋まった。箕面有馬電気
軌道の梅田停留場は朝から豊中運動場に向かう乗客で埋まり、数百メートルの行
列ができる騒ぎ。電車に乗れない客が2人引きの人力車の取り合いまで始める大
混乱となった。
 午後3時。マウンドに立った大久保利武・大阪府知事が、英語で両チームの選
手に励ましの言葉を贈ったあと、始球式を行った。ワンバウンドながら捕手のミ
ットに見事に収まり、慶応大学対スタンフォード大学の第1戦が始まった。
 慶応大は菅瀬一馬投手、スタンフォード大はメープル投手の両エースが先発し
た。スタンフォード大は1回裏、いきなり打者一巡5長短打の猛攻を見せて一挙
に4点を獲得、2回裏は慶応の内野陣の守備の乱れを突いてさらに3点を挙げた。
慶応大は3回、菅瀬投手から石川真良投手に交代したものの、スタンフォード大
の勢いは止まらず、3塁打の連打などで2点を追加。序盤で9点をもぎ取り慶応
大を大きく突き放した。
 結局、慶応大はメープル、ハルム両投手にわずか2安打に抑えられ、10対0
の大差でスタンフォード大に敗れた。豊中運動場の開場記念試合は1時間45分
でゲームセットになった。
 慶応大の主将でもある菅瀬投手は当時、日本を代表する剛腕投手と高い評価を
受けていた。試合後に「10対0とは慶応義塾の歴史においてレコード破りの負
けで何とも面目ない。明日は最終戦、腕が折れてもきっと働く」と悔しさをにじ
ませた。【松本泉】

 ◇1913年6月21日 日米野球戦◇
慶応義塾大    000000000=0
スタンフォード大 43201000×=10
=地域密着新聞「マチゴト豊中・池田」第55(2013年9月12日)

豊中運動 慶応義塾大学対米国スタンフォード大学 大久保利武・大阪府知事

更新日時 2013/06/17


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